水府流太田派が日本泳法の中でも泳いでいる人が多いのは、東京高等師範学校で教えられたことで学校教育を通じて全国に伝わったからだと言われておりますが、その東京高等師範で水府流太田派を指導したのが本田存(ありや)、後の水府流太田派四代師範です。
東京高等師範の校長は嘉納治五郎でしたから、西郷四郎が嘉納治五郎を通じて水府流太田派へ教師派遣を依頼したのではなかろうかと私は考えています。
実は、本田存は講道館門弟であり、東京高等師範ではそもそも柔道師範を務めていたらしいのです。東京高等師範が水泳指導を行う際に嘉納治五郎が「本田君、君は泳ぎが達者だから頼むよ」みたいな感じだったのかも知れません。 西郷が講道館を出奔したのが明治22年、本田の入門が明治21年なので面識はあったはずですし、本田自身の口で西郷や四天王の一人である横山作次朗の人物像を示すエピソードを語った資料もあります。 もしかしたら西郷が直接本田に依頼した可能性もあります。 もっとも、本田の入門当時、既に講道館四天王として名を成していた西郷を入門間もない本田が見知っているのはあたりまえですが、西郷から見れば新人門弟の一人に過ぎない本田と個人的な交誼があったとは考えにくいですし、西郷が嘉納を飛び越して直接本田に依頼するというのは西郷と嘉納の関係を考えればまずあり得ないだろうと思います。
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