年 | できごと |
1902 明治35年 |
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1903 明治36年 |
- 主任師範に宇田川五郎(水府流太田派)
- 正会員、16歳未満40銭、16歳以上60銭
準会員、16歳未満4銭、16歳以上8銭
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1904 明治37年 |
- 主任師範に吉田荘太郎(小堀流踏水術)
- 正会員、30銭(1ヶ月・船賃別)
準会員、16歳未満5銭、16歳以上10銭(船賃込)
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1905 明治38年 |
- 1/5旅順陥落祝捷会で御前游披露
- 主任師範に町野晋吉(小堀流踏水術)
- 深堀遠泳始まる
8/12、8/21の二回実施 往復完泳者は第1回22名、第2回20名
- 第一回競泳大会、観衆1,000名集める
- 小堀流第六代師範、猿木宗那先生来島
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1906 明治39年 |
- 神の島、高鉾、木鉢に游泳場を増設
- 鼠島の絵葉書を発売(4枚1組12銭)
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1907 明治40年 |
- 正会員、小学生80銭、中学生1円
準会員、小人10銭、大人20銭
- 博多丸、モンゴリア号(ロシア汽船)にコレラ発生、“島"2週間の休止
- 深堀−伊王島遠泳を実施
- 9月24日、道ノ尾の万象園で陸上運動会
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1908 明治41年 |
- 第1回九州競泳大会(協会主催)
審判長は猿木宗那師範
- 筑前丸コレラ発生、一時休止
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1909 明治42年 |
- 正会員2,000名に達す
- 町野晋吉主任師範死去(4/20)
- 主任師範に佐々亮雄(小堀流踏水術)
- 甲・乙・丙・丁制確立す
- 田中直治、小堀流踏水術目録を相伝
- 国際競泳大会、入港中のドイツ艦隊と覇をきそう
- 9月、入港中の大安丸にコレラ発生、一時福田へ
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1910 明治43年 |
- 主任師範に加藤忠雄(小堀流踏水術)
- 壱岐中学分校、五島中学に水泳教師派遣
- 春日丸にコレラ発生、一時福田へ
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1911 明治44年 |
- 西島助義陸軍中将会長に就任
- 大阪毎日の見学船「琉球丸」を海上歓迎
- 競泳大会の余興として『大名行列』初披露
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1912 明治45年 (大正元年) |
- 田中直治、主任師範となる
- 創立10周年、木札を(全期)60銭に値下げ
- 山上への道路完成
- 会期中3度のコレラ船、それぞれ福田、深堀、茂木へ
- 「瓊浦游泳協會拾年紀念」刊行(9月)
- 鼠島で水上飛行機の飛行を計画するも許可が下りず大赤字(10月)
- 飛行機の赤字を埋めるため満知多座で演芸会を開催、桃中軒雲右衛門など出演(11月)
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1913 大正2年 |
- 長崎游泳協会と名称を改める
- 熊本県三角で開催の九州大会に参加、短距離・長距離とも大勝す
- 秋の陸上運動会の会場が田上の合戦場に
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1914 大正3年 |
- 第1回有明海横断遠泳
9時間半に及ぶ力泳も失敗に終わる
- 8月、台風により“島"設備倒壊
- 8/29〜9/4休会(第一次世界大戦参戦のため?)
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1915 大正4年 |
- 大阪遠征、大毎主催十浬競泳に出場
- 中山亀次郎氏を鼡島看守に任命、手当10円
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1916 大正5年 |
- 鼠島に"ウォーターシュート"設置
- 市内でコレラ流行鼠島は游泳禁止、福田へ
- 8/15第2回有明海横断遠泳
長洲→島原のコースで成功
- 大阪遠征、極東オリンピック予選出場
- 協会矢上支部発足
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1917 大正6年 |
- 極東オリンピック(於東京)
1マイル競泳、今村豊優勝 880ヤード競泳、八牧貫一2位
- パリより帰国の宇田川五郎師範来島
- 創設15年記念九州競泳大会開く
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1918 大正7年 |
- 会歌発表会、“汝れ三伏の・・・”
- 大毎主催全国中学校競泳大会、浜寺で協会員活躍す
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1919 大正8年 |
- 小学対校競泳大会始まる
- 「長崎游泳協会教範並ニ試験過程」出版
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1920 大正9年 |
- 皇太子(昭和天皇)を水中奉迎(4月)
- 前半コレラにより游泳場を神の島へ
- 片岡次郎氏、島守として鼠島常駐に
- 安藤教士設計の事務所完成
- 小学校競泳大会で「崎陽の華」(後に「瓊浦の華」)初登場
- 鼠島施設を市に提供し市営事業化する計画が進むも実現せず
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1921 大正10年 |
- 極東オリンピック(於上海)
100ヤード背泳、持長義崇2位 1マイル競泳、今村栄三3位
- 各地へ游泳教師派遣
矢上臨海学校へ松島、笹森 百道海岸(福岡)へ吉野フイ、田原ハツ その他島原中学、時津游泳場等へ
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1922 大正11年 |
- 浦川力初段、揚子江往復横断成功
- 鼠島に電話架設
- コレラで一時香焼海老瀬へ又、尾の江へ移る
- 12/23西郷四郎協会顧問静養先の尾道で死去
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1923 大正12年 |
- 小榊村が長崎市に編入、鼠島も長崎市に
- 4/7晧台寺にて西郷四郎顧問の葬儀が東洋日の出新聞社葬として執り行われる
墓地は鍛冶屋町の大光寺に
- “島"の活動写真を作る
- 女子部遠征(東京)玉川水泳場へ吉野フイ、田原セツ、吉野四季子、山中松代が出場
- コレラ発生(8月)茂木へ
- 財政再建に尽力した田中直三郎氏死去
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1924 大正13年 |
- 木鉢石油タンクで油流失事故、鼠島にも重油が流れ着く(7月)
- 青年団競泳大会
- 佐世保鎮守府との対抗競泳に圧勝
- 大日本水上競技連盟(現・日本水泳連盟)創立
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1925 大正14年 |
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1926 大正15年 |
- 長崎市港湾課長島内嘉次郎氏が協会理事長に就任
- 大毎主催、全九州水泳競技、長中クラブ優勝
- 創立25周年
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