私と寒中水泳 片山格師範(昭和24年初段) | |
今年も、とうとう泳いでしまった。今日は正月三日。恒例の小堀流稽古初め式の日である。私は数年前から、バイク事故の後遺症のため、今年からは見学だけにしよう。と思いながら小瀬戸町のねずみ島(旧游泳道場)海岸まで出かけるのだが、ここで懐かしい海を見ると・・・ なんと言っても中学時代から続けて来た寒中水泳だから、古希を迎えた年齢でも止めるのに勇気がいるものだ。 二十代に西海村に赴任していた時も、寒中水泳の日(昔は二月の大寒の日だった。)長崎に帰れなかったので、下宿の目の前の海で、ちょっとだけ、と思って一人で泳いだのも慣習が止められなかったのだ。あの時は誰も見ていないと思っていたのに、噂は隣の村まで伝わり、寒いのに泳ぐとは??半信半疑はいいがひどいのは、バイクで海に落ちたことになっていた。 「今日は、せっかくの寒中水泳なのに雪が降らずに残念でした。」と司会者の挨拶を聞きながら、大村湾での寒中水泳を思い出した。私が厄人りの年だった。風は吹くし、おまけに大きい霰が降り出した時は痛くなり、・・・「挨拶はいいから早く海に入れてくれ」と海の中に逃げ込もうとしたものだった。(日記には二月十日、気温三度。水温七.五度。霰がすごかった。)あの時に比べると、今日の水温は十二度もあるし、小雨も止み、焚き火も最高に燃え上がり、泳いでからのご馳走豚汁も準備OK。天が味方してくれたようだ。 いよいよ入水。まず水泳教室の子供達七人が、小堀流踏水術の特技である「立游」で 「水書」を披露する。今年は市町村合併が明日発足するので、「祝 新長崎市誕生」と毛筆で―文字ずつ書き上げた。次に、海や川が浅くて足場が悪い所を安全に泳ぎわたる「足撃」を披露。 あと次々と伝統泳法を披露し、最後は幟や傘や横断幕を掲げ全員で万歳三唱して終了。しかし私はこのまま上がりたくない。ゆっくり頭まで水に没して初めて寒中水泳をした思いがするのだ。そして、初心者が面浸けを嫌がる気持ちをわかる気がする。つまり、水に浸けた瞬間から息が苦しいのだ。・・・ 満足しながら陸に上がり、子供達と共に焚き火と豚汁で冷えた体を温めるのもまた楽しいものである。よく来てくれた。この子たちは何と言ってもプール育ちだ。海での「遠泳」にも参加し、海の怖さ楽しさも体験しながら育って欲しいと思う。 現在市民プールでは、年間通してアクアビスク等いろんな教室が開かれています。又、―般の方も泳ぐだけでなく、膝や腰の治療にと、工夫しながら歩かれています。お互いに自然と顔見知りになりおしゃべりしながら歩くのも楽しいものです。皆様もぜひお出かけください。
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平成17年3月9日 |