肥後細川藩では、1633年(寛永10年)甲州浪人河井半兵衛友明を江戸から迎えて、八幡淵の徒士水練の師範とした。これとは別に上士にも伝習が行われたが、1700年(宝栄年間)頃には村岡伊太夫政之が一流を立て上士の師範を命じられていた。 政文の次子小堀長順常春は父の跡を継ぎ1714年(正徳4年)上士の師範となる。1754年(宝暦4年)藩校時習館が創設されると、長順は時習館の游の師役となり、この後踏水術は時習館の武芸として伝習される。長順は1758年(宝暦8年)「踏水訣」を大阪で出版。日本における最古の水泳書籍出版である。 五代師範小堀水翁の頃には稽古場10数カ所、教えを受けた者1万人ともいわれた。 六代師範猿木宗那は「小堀流踏水術游泳教範」を著し、団体教授の方法を明らかにした。 現在、小堀流踏水術は熊本市の無形文化財であり、十一代古閑忠夫師範指導のもと、熊本の小堀流踏水会、京都踏水会、学習院、等で伝承されている。
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