日本泳法とは
周囲を海に囲まれた日本には太古の昔から様々な泳ぎ方があったに違いありません。その中で主に武士が戦場において用いる泳ぎが江戸時代に武道として高められたものが日本泳法です。クロールなどの「近代泳法」に対して「古式泳法」と呼ぶこともありますが、日本水泳連盟では「日本泳法」という呼び方で統一しています。現在、由緒のはっきりしている流派としては十三の流派が伝えられています。流派名 | 発祥地 | 現在伝承されている地 |
神 統 流 (しんとうりゅう) | 鹿児島 | 鹿児島 |
小堀流踏水術 (こぼりりゅうとうすいじゅつ) | 熊本 | 熊本、長崎、京都、東京 |
山 内 流 (やまうちりゅう) | 豊後臼杵 | 臼杵 |
主馬神伝流 (しゅめしんでんりゅう) | 伊予大洲 | 大洲、松山 |
神 伝 流 (しんでんりゅう) | 松山 | 津山、東京、広島、岡山、全国 |
水 任 流 (すいにんりゅう) | 讃岐高松 | 高松 |
岩 倉 流 (いわくらりゅう) | 和歌山 | 和歌山 |
能 島 流 (のじまりゅう) | 和歌山 | 近畿 |
小 池 流 (こいけりゅう) | 和歌山 | 東海、近畿 |
観 海 流 (かんかいりゅう) | 伊勢 | 伊勢、津、関西一円 |
向 井 流 (むかいりゅう) | 江戸 | 東京、会津、北海道 |
水府流水術 (すいふりゅうすいじゅつ) | 水戸 | 水戸、東京 |
水府流太田派 (すいふりゅうおおたは) | 江戸 | 東京、全国 |
小堀流踏水術
肥後細川藩では、1633年(寛永10年)甲州浪人河井半兵衛友明を江戸から迎えて、八幡淵の徒士水練の師範とした。これとは別に上士にも伝習が行われたが、1700年(宝栄年間)頃には村岡伊太夫政之が一流を立て上士の師範を命じられていた。政文の次子小堀長順常春は父の跡を継ぎ1714年(正徳4年)上士の師範となる。1754年(宝暦4年)藩校時習館が創設されると、長順は時習館の游の師役となり、この後踏水術は時習館の武芸として伝習される。長順は1758年(宝暦8年)「踏水訣」を大阪で出版。日本における最古の水泳書籍出版である。
五代師範小堀水翁の頃には稽古場10数カ所、教えを受けた者1万人ともいわれた。
六代師範猿木宗那は「小堀流踏水術游泳教範」を著し、団体教授の方法を明らかにした。
現在、小堀流踏水術は熊本市の無形文化財であり、十一代古閑忠夫師範指導のもと、熊本の小堀流踏水会、京都踏水会、学習院、等で伝承されている。
流祖 | 村岡伊太夫政文 | 1700年頃 |
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初代 | 小堀長順常春 | 1714年(正徳4年) |
二代 | 池部彌八郎春近 | 1769年(明和6年) |
三代 | 山東彦右衛門清秀 | 1779年(安永8年) |
四代 | 能勢熊之允政良 | 1831年(天保2年) |
五代 | 小堀清左衛門闊芳(水翁) | 1839年(天保10年) |
六代 | 猿木宗那宗倫 | 1876年(明治9年) |
七代 | 小堀平七闊長 | 1913年(大正2年) |
八代 | 城義核和美 | 1934年(昭和9年) |
九代 | 廣吉寅雄 | 1949年(昭和24年) |
十代 | 猿木恭經 | 1952年(昭和27年) |
十一代 | 古閑忠夫 | 1994年(平成6年) |
二代~五代の師範については、藩校時習館の游師役となった年です。 |